滋賀県の北西部に位置する、高島市マキノ町。豊かな水源に恵まれ、琵琶湖に注ぐ水の3分の1以上が、高島市で生まれているほど。里山の緑も美しく、500本以上の木々が2.4kmに渡って連なる「メタセコイアの並木道」は、観光スポットとしても人気です。この優しい自然に囲まれて農業を営んでいるのが、『みなくちファーム』。今回お話をうかがったのは、ここで働く瀬口結以(せぐちゆい)さん。医療の道から農家へと転身した瀬口さんに、人生の選択や、毎日の暮らしについてお聞きしました。
自身の健康にもつながる、みずみずしい無農薬野菜
「みなくちファームの野菜って、本当にきれいなんですよ」。
嬉しそうに語り出してくれた瀬口さん。医療の業界から転職し、ここで働き始めたのは2019年のことです。
瀬口さんが働く、みなくちファームで育つのは、農薬や化学肥料を使わずに作られた野菜たち。夏はスイートコーンやマクワウリ、冬は大根やカブ……。手間暇と愛情をたっぷり注がれた色とりどりの野菜が、5ヘクタールの広々とした農地にみずみずしく実ります。また、2022年からは水稲へも本格的に参入し始めました。
「毎日、本当に楽しくて気持ちが良いんです」と、瀬口さんは農のある暮らしを生き生きと過ごされています。
前職は、大阪で免疫に関する医療の仕事をされていた瀬口さん。仕事柄、できるだけ自身の「免疫力」を高めたいと常に考えていました。ただ、「免疫力」には医療的な特効薬があるわけではありません。
そんな中、「病気を防ぐためにまず自分にできることは、美味しい野菜を食べて健康に過ごすこと」なのだと気づきます。その中でもミネラルの含有率が高く、環境への負荷も低い無農薬の野菜に、興味を持つようになりました。
また、瀬口さんは30歳というひとつの節目を迎えたことをきっかけに、「ずっと街中で働き続けて、この先どうなるんだろう……」と、自分の働き方に疑問を持ち始めるようになっていました。
「そういえば私、専門学校を卒業する頃は、いつかは自給自足の生活がしたいと思っていたんです。今振り返ると、農業の道を目指したのは、その延長線上だったのかもしれませんね」
縁を大切に、積み重ねた転職活動
農業を始める準備をするため、実家のある高島市に帰ってきた瀬口さん。
「小さな頃から、田んぼで遊んだり、自然に癒やされたり。地元の風景がすごく好きだったので、農業を始めるならやっぱり高島市が良いなと考えていました。それに愛着が持てる場所じゃないと、続けられないなとも思っていたんです」
とはいえ、帰ってきた当初は「無農薬野菜をつくっている農家が、求人を出しているかさえわからなかった」と言います。
そこで、大阪での仕事を続けながら、駅のチラシで情報収集をしたり、「しが農業女子100人プロジェクト」のFacebookページを見つけて交流会に顔を出したり。いつまでに転職をしなきゃと焦るのではなく、出会った縁を大切にしたい。お手伝いやバイトでも良いから、まずは農業に関わることから始めよう、と行動を重ねていきました。
そのようにして知らない人や場所との出会いが増えていくのが面白く、転職活動を苦労と感じることはなかったと言います。
そんな中、高島市が主催する新規就農者支援セミナーの中で、初めてみなくちファームのことを知りました。
「無農薬で育てていること、水口さんご夫婦で協力して頑張っていること……。お話を聞いて、すごいなと思いました。それに私はマクワウリ(ウリ科キュウリ属の野菜で、メロンの仲間。ひかえめな甘さで、さっぱりとした味が特徴)が好きだから、とにかくマクワウリを育てているのが良いなあって(笑)。
そのセミナーでは話を聞くだけで終わったのですが、他の農家さんからのご縁で参加した忘年会で、ご夫婦と再会したんです。そのとき、スタッフを探していると聞いたので、ぜひ雇ってくださいとお願いをしました」。
転職活動を始めてから、約2年。瀬口さんが積み重ねてきた行動が、実を結んだ瞬間でした。
汗をかく中で、毎日見つかる「良かった」
みなくちファームで働き始めてからは、これまでご夫婦が2人だけでやってきたことを受け継ぐ形に。仕事内容を教えてもらいながら、勉強の日々が始まりました。
農場を耕すところから、種まきや定植、除草や追肥まで。もちろん収穫や出荷もするし、今では軽トラやトラクターも軽々と乗りこなします。2021年には、新規就農を目指す女性と1年間一緒に働き、また2022年の4月からは新卒の女性も仲間に加わりました。
夏は青々とした空の下で、冬は真っ白に積もった雪をかき分けながら、4人で一緒に汗を流します。
ジリジリと暑くなる夏の間は、朝のうちに収穫しないと駄目になってしまう野菜も多いそう。例えばスイートコーンが実り始めたら、朝の5時から畑に向かいます。その後は準備をして、9時前には出荷に出発。帰ってきてからは農場を見回って草刈りをしたり、他の野菜の収穫をしたりと、慌ただしい1日を過ごしています。
「夏だけと言わず、1年間いつも忙しいですね」と笑う瀬口さん。秋には冬野菜の種まきや苗作り。冬に向けては、原木からのしいたけ栽培。春にはトラクターに乗り込んで、農場を耕し、トウモロコシやナス、トマトなどの苗作り。そして夏には収穫作業……。オンラインショップも盛況で、やりだしたら仕事はいくらでもあるといいます。
しかし、「仕事の終わりは17時まで」と決められているそう。忙しさの中にも、しっかりと自分の時間を確保するのは、毎日気持ちよく働くためでもあるのでしょう。
「雇われ仕事だと、働きたくないな、やりたくないなって思う瞬間がどうしてもあると思います。でも、ここだとそういうことが全然ないんですよ。みんな真剣だし、本当に楽しそうに仕事をされています」。
野菜が大きく実ってきたとき。作業中に手を止めて、遠くの山々を見つめるとき。毎日の中に「良かった」が溢れていると瀬口さんは言います。
作家さんや料理研究家の方など、農業をしていなかったら出会えなかったような人と知り合えたことも、嬉しいことの一つ。
「農業を始めてからの出会いは、全部良かったです。悪かったものなんて、ひとつもないですよ」と、瀬口さんは言います。
美しいマキノで育てる、綺麗な野菜たち
周りの方からは、「みなくちファームの野菜って、無農薬なのになんでこんなに綺麗なの?」と驚きの声が上がることも多いそう。その理由は、「これまで水口さんご夫婦が、心血を注いでやってこられた成果」。そして、瀬口さんも同じ水準で頑張らなければと前を向きます。
「経験不足で気づけないことや、できないことはまだまだたくさんあるので、経験を積むのみだなと思っています。仕事は練習ではありません。それでも、毎日知らなかったことを知ることができるし、できるようになることもどんどん増えて、すごく充実しているんですよ」。
自身のからだを考えて取り組み出した農業に、今では「自分が育てた野菜で、ほんの少しでも誰かを幸せにできたら」という想いが芽吹き始めました。
玉ねぎひとつとっても、味や品種、育て方など、そこから考えられることはたくさんあります。邪魔に思われがちなあぜ道にある雑草も、雨で土砂が崩れるのを防いでくれている。ひとつ知識を持つと、身の周りの世界は、また違った見え方が生まれます。
「琵琶湖のほとりを電車に揺られていると、長い旅をしている気分になります。マキノに向かっている窓の先で、どんどん景色が変わっていくんだなあって。地元の私でさえ、びっくりすることがあるんですよ」。
真っ白な病院のクリーンルームを飛び出して出会った、農業の世界。
春夏秋冬、様々な表情をみせるここマキノで、瀬口さんの世界にも新しい彩りが生まれています。