京都駅から、南に向かって車で走ること約30分。たどり着いたのは、京都市伏見区の向島(むかいじま)。マンションが立ち並び、子どもたちの遊び声が響く住宅街のすぐ隣には、青々とした田畑が広がっています。今回、このエリアの一角で農業を営む「中嶋農園」を訪問し、加工部で働く野村知里(のむらちさと)さんにお話を伺いました。兵庫県から転職・移住し、子育てをしつつ農業に励む野村さん。畑違いの業種から、どのようにして現在の暮らしへと行き着いたのでしょうか?その道のりをお聞きしました。
野菜の育て方ひとつで、こんなに変わる。料理教室での感動と転機
中嶋農園の創業は、1926年。キャベツを中心とした生鮮野菜のほか、干し芋や味噌などの加工品、オリジナルブランド米「武士米」に至るまで、幅広く手がけています。約11ヘクタールの田畑で活き活きと育った農作物は、京都の中心部から十数キロという立地の良さを活かし、鮮度抜群のまま配達できるのが特徴のひとつです。
「向島エリアには縁もゆかりもありませんでした」という、奈良県出身の野村さん。初めてここにやってきたのは、2021年2月のことです。以前の勤務先は、兵庫県の医療機器メーカー。小さな頃から健康を保つ方法に関心があった野村さんは、病気をいち早く見つけ予防ができる医療機器に興味を持ち、働いていたそうです。
また「料理は習ったことがなかったので、しっかり学びたい」と通い始めた料理教室が、健康についての考えを一歩進める転機になりました。
「そこは農薬や化学肥料を使わない食材だけを使って、体に優しい料理をつくりましょうという教室でした。私、大学では管理栄養士養成課程で学んでいたのに、自分が食べるものには無頓着だったんです。その教室で美味しい野菜を食べた時、身体も心も健康になった感じがしました。野菜の育て方ひとつでこんなに変わるんだと、すごく感動したんです」。
早速、貸し農園を見つけて、家庭菜園を始めた野村さん。その後しばらくして、第一子を妊娠、出産。育休・産休を経て仕事に復帰しましたが、子育てをしながら自宅とも会社とも離れた貸し農園に通い続けることは難しく、農業とは疎遠になってしまいました。「前職の会社は大好きでした。仕事内容はもちろん、子育てにも理解があって、とても恵まれていたと思います。ただ時間的に、以前のようにがっつり働けなくなったことに悶々としていました。
また、せっかく好きで始めた農業のことが頭の片隅にあるのに、取り組めない状態が続いているのが耐えられなくて……。娘を保育園に預けてまで働いているのだから、せっかくのその時間を、ずっとやりたかった農業に使いたい。そう思って、挑戦しようと決意しました」。
就農希望先のエリアとして選んだのは、京都周辺。野村さんの実家が京都府木津川市にあったため、その近くなら子育ても安心と情報を集め始めました。
「夫は兵庫出身でしたし、仕事のこともあったので、最初は兵庫県内では駄目なのかとは聞かれましたね。それに娘も引っ越しと保育園の転園を経験することになるため、大丈夫かなと心配でした。両親は『好きにしたら良いよ』というスタンスでしたが、安定した会社員の生活から離れることを少し心配していました」。
でも、野村さんの農業への思いや、これからの暮らしについて話すうちに、家族も納得し、野村さん自身の気持ちも固まりました。そこから野村さんの転職活動が本格的に始まりました。
中嶋農園、初めての女性社員に
最初は大手の農業求人サイトに登録してみたものの、なかなか京都の仕事が見つからなかったそう。そこで試しに「京都・農業・地域名」でインターネット検索をしてみたら、農業系のマッチングイベントがヒット。いくつかの農園とオンライン上で話した中で、特に強く惹かれたのが中嶋農園だったと言います。
「社長の中嶋直己さんは、農家の生まれながら、以前はアパレル業界で働かれていました。全然違う職業から農業を仕事にしたことに親近感を持ったんです。それに農園がある向島は地理的にも住みやすいエリアで、保育園が近くにあることも好印象でした」。
マッチングイベントが終わった直後の2021年2月、履歴書を握りしめて、野村さんは初めて中嶋農園を訪れました。
「実は新卒で1人採用することが決まっていたので、もう1人追加で雇う予定はなかったそうです。『少し考えさせてください』と言われましたが、翌月の3月にもう一度訪問したときに、快くお返事をいただきました」。
ここでも野村さんの農業への思いが、人を動かしたのでしょう。慌ただしい年度末でしたが、家族揃っての引っ越し作業も無事に終了。4月中旬、中嶋農園に初めての女性正社員として入社しました。
農家としての初日の朝は、レタスの収穫から始まりました。社長の父親である会長がレタスを切り、野村さんがダンボールへの詰め作業をすることに。
「会長は70代って聞いていたのに、切るのがものすごく早くて(笑) 。ついていくだけで必死でしたね」。
それから田植えに向けての籾(もみ)まきや、枝豆の定植、味噌作りなど、目まぐるしい1年を駆け抜けました。
「中嶋農園では色々な作物を育てているので、時間内に作業が終わるようにしっかり段取りを組んでいます。野菜は育てるというよりも、育ってくれるのをサポートしているような感じですね。植えたときはどんな風になるか分からない種が、ちゃんと芽を出して、元気に育っている姿を見るのはとても楽しいです。そしてできた野菜を私たちの手で袋詰めや加工をし、お客様に届けられることに、すごくやりがいを感じていますね」。
また、農薬・化学肥料なしでの栽培に興味があった野村さんのために、「好きな農法を試して良いよ」と、社長が小さな畑をひとつ分けてくれたのだそう。今は西洋野菜やハーブなどを、少量ずつ実験的に栽培しています。
現在中嶋農園で一緒に働くのは、野村さんを含めて4名の社員と、数名のアルバイト。その中で、女性の正社員として採用されたのは野村さんが初めて。だからこそ最初の頃は、まだ子育てに関する制度がしっかりと整っていませんでした。
そういった中で働くことに不安はなかったのかと尋ねると、野村さんは「それが、社長もお子さんがいらっしゃるので、子育てについてよく理解してくれて、私のために色々と仕組みを考えてくれたんです」と教えてくれました。
例えば、勤務時間。保育園の送り迎えのため、中抜けをしているそう。毎朝8時まで働いた後は、自転車で一旦帰宅して娘さんを保育園へ。9時頃に戻ってきて、作業を再開しているそうです。
また、現在妊娠中(取材当時)の野村さん。妊娠が分かった後は力仕事を避けるよう作業内容を調整してもらい、もうすぐ産休・育休にも入るとのこと。想像以上の手厚いサポートがあってありがたいと言います。
地域に寄り添い、次世代にバトンをつなぐ
中嶋農園の魅力は?という質問に、「地域に寄り添い、次の世代のことを考えているところ」と野村さん。社長も毎日のように「地域の人たちがいないと農業はできないよ」と口にしているそうです。
「秋に開催したさつまいも掘りのイベントには、地域の子どもたちがたくさん来てくれました。皆さん、普段なかなか土に触れる機会はないと思うんですけれど、実際にやってみたらすごく楽しそうにしてくれて。畑のすぐ近くには大きな住宅街もありますし、しっかりコミュニケーションをとって、地域に近い農家でいたいなと思うんです」。
また親から子へと継承されていく農家が多い中で、中嶋農園では非農家の人を雇用できる体制づくりをしています。野村さんも実際に働く中で、中嶋農園だけにとどまらず、この地域の土地や農業を次世代に繋いでいくことが大切だと考えるようになりました。
「中嶋農園は慣行農業(農薬や化学肥料を使う一般的な栽培方法)がメインですが、さつまいもや玉ねぎなどの一部は、将来を見据えて農薬や化学肥料を使わずに育てています。輸入がストップして、それらが手に入らなくなっても、ちゃんと農業を続けられるようにしているんです。
農家さん同士のつながりも、とても大切。私たちが作れないものを他の農家さんから仕入れて、一緒に京都の中心地まで配達することもあります。配達に行くのが大変な農家さんも、私たちが中継したら、より多くのお客さんに届けられますから。
そうやって、みんなでこの地域の農業を支えて、次の世代のバトンをつないでいけたら良いなと思います」。
兵庫県から移住し、畑違いの業種から目指した農業の道。農家出身でもなければ、農業学校に通ったこともない……。そんな自分でも大丈夫だろうかと、最初に感じた引け目を乗り越え、今では「他業種を経験したからこそ、できることもある」と前を向きます。仕事の段取り力やコミュニケーション力は、前の職場で培ったもの。これまでの経験や視点があるからこそ、気づけることも多いそうです。
「農業は子育てとも相性が良い仕事なんだなと、働き始めて感じるようになりました。朝は早いですが、夜は子どもとの時間をしっかりつくることができます。女性の力をもっと農業に呼び込んでいける、そんな何かを、ここからつくっていけたら嬉しいです」。
野村さんの農家としての人生は、まだまだスタートを切ったばかり。額に爽やかな汗をかきながら、楽しそうに笑みを浮かべました。