横浜市で育ち、いわゆる「シティガール」だったという羽賀さん。今では夜には真っ暗になる北海道の由仁町で、農業者として子どもを2人育てながら、さまざまな活動に精力的に取り組んでいます。「やりたい」がたくさん出てくる、ポジティブな笑顔が魅力的な羽賀さん。なかなか思い通りにはいかない現実を前に、健やかに楽しく暮らすために大切にしていることを教えてもらいました。
何もかもが衝撃だった農業との出会い
訪れたのは、由仁町のだだっぴろいビート畑。南北に連なる夕張連峰の手前に、どこまでも見渡せる平野部が広がっています。羽賀望さんはかつてここで、農業と運命的な出会いを果たしました。背丈の何倍もある大きなトラクターでどんどん収穫することもあれば、ハウスの苗に一つひとつ手をかけて作業するようなことも。
ダイナミックでありながら、繊細さも兼ね備えた北海道での農業。「ただ空腹を満たすもの」という認識だった食べ物が生まれる現場を目の当たりにして、「もう、うわぁ〜って!何も知らずに生きてきたんだと、頭を殴られたような衝撃を受けました」。
自分で収穫した採れたての野菜を食べてみると、愛着が湧いてよりおいしく感じられる。見てもやっても、食べても楽しい。そのすべてが羽賀さんを虜にしました。「全部が面白くて、一気に視界が広がりました。農業マジックにかかって、自分でもやりたい!と思ったんですよね」。
農業に一目惚れした羽賀さんは、アプローチするように何度も畑に通いました。その後、通っていた羽賀ファームの義洋さんと2014年に結婚。初めて畑を訪れた一年後には、農業者の妻として、農家の一員になっていました。
看護師として、趣味に打ち込んだ20代
横浜市の中心部で生まれ育った羽賀さん。幼稚園の頃は父のお見舞いで、何度も病院に通っていました。身近な職業だったこともあり、看護師の資格を取得。内科の看護師として働いていました。
病気を患った人が快方に向かうまで看護しては見送る、繰り返しの日々。そのうち、ある悩みが生まれました。「よくない生活習慣が病気をつくっているのがわかっているのに、看護師はそこに足を踏み込めないんです」。そんなモヤモヤを打ち消すように、趣味としていたスノーボードやバイク、登山などに没頭し始めました。けれど悶々とした思いは拭いきれず、働いていた病院を退職。派遣看護師をしながら全国を転々とする生活を始めました。
毎冬、スキーをするため通っていたニセコ。そこで出会ったスキー仲間の一人が、夫の義洋さんです。ある日義洋さんから、夏は実家の農家で農業をしていることを聞き、軽い気持ちで「農作業体験させてよ!」と声をかけた羽賀さん。それがのちに運命を変える農業との出会いになりました。
自分のできることを見つめて
派遣看護師として働いていた頃、自然食に関心を持ち、食生活に人一倍気を遣っていた時期がありました。農業と出会ったことで、羽賀さんの胸にしまってあった興味の種が再び芽を出します。「農家にいるなら、自分でも有機野菜を作れるんじゃないかなと思って胸をときめかせました」。
けれどたどり着いた先は、ごく一般的な北海道の大規模農家。「やりたいこと」を実現するのは難しいかもしれないとわかったのは、結婚した後のことでした。でも、そこでの農業に携わるうちに、「これも日本の食を支えるために、なくてはならない農業の形」と、羽賀さんは思うようになります。「今はそういった、生業としての農業と、自分のやりたいこととのバランスを探っているところです」。3人目を妊娠しながら、二人の子どもを育てる現在。今は草取りや雑務など、子育ての傍らでできる軽作業を手伝っています。
ないもの探しから、あるもの探しへ
田舎町の由仁町へ越してきて、一つだけ不安だったことがあります。それは都会に比べたときの選択肢の少なさ。塾や習い事、遊び場や施設など、都会には豊富にあるそれらが、田舎だとないことも多いです。「自分があたりまえに与えられてきたものを子どもたちに手渡せないかもしれない」。
そんな不安を抱えていたあるとき、都会から遊びに来た友人家族を畑に案内する機会がありました。広大すぎる畑や巨大な麦わらロール、収穫体験などすべてのことに顔を輝かせて楽しむ友人たち。その姿は、かつて畑を見て衝撃を受けたあの頃の羽賀さんと同じでした。
「ないものばかり数えていたけど、ここにしかないものもたくさんあるんだ!」。そう気付かせてもらったことで、羽賀さんの新たな夢が生まれました。子ども連れの家族を対象にした、農業体験のツアーです。今は友人家族に声をかけて小さくスタートさせたところ。これから、由仁町の子どもたちが畑で遊べる放課後クラブなどを通して、「ここで育ってよかった!」と思える子どもたちを増やしたいと考えています。
今できなくても、諦めなくていい
羽賀さんと農業との出会いが晴天の霹靂だったのはきっと、羽賀さん自身のなかに食に関する興味関心が眠っていたから。突然「これだ!」と思える関心事のど真ん中に放り込まれたからでしょうか。羽賀さんと話していると、やりたいことや叶えたい夢が次々出てきて止まりません。
でも今は、農業について勉強することばかりな上に、子育ても手一杯。なかなかそれに集中する時間がとれません。さらにやりたい農業を実現するには、今の形だと難しいこともわかりました。けれど羽賀さんはどこまでも明るい表情で語ります。「いつか”自分のタイミング”がきっとくると思うんです。大切なものもその時々のライフステージできっと変わるから、そのとき心地よい自分でいることが大切かなと思います」。今できることをできる範囲でやろうと、家庭菜園で自然栽培にチャレンジしています。
今の自分たちのスタイルを大切に
羽賀さんがポジティブな考えでいられるようになったきっかけの一つは、由仁町に暮らす20〜40代の若手女性農業者グループ「WEAVE」で生まれた横の繋がりです。
WEAVEでは、野菜のマルシェ販売や乾燥野菜の商品化、クリスマスイベントの実行などをしています。代表を務める羽賀さんが一番大切にしているのは、「楽しむこと」。子育てをしながら野菜の収穫に追われるというただでさえ忙しい日々の中。活動が重荷にならないよう、伝統を重んじるよりも、今の自分たちに合ったやり方を追求しています。
たとえば、乾燥野菜の原料となる野菜がなく、他から購入した野菜で商品を作ろうと無理をしたことがありました。「乾燥野菜は規格外の野菜をどうしようっていうところから始まったのだから、わざわざ買って作らなきゃいけないってことはないよね」と、メンバーと相談。伝統も大切だけど、「そもそも」に立ち戻り、必要なら今の自分たちに合うスタイルに変えていく。グループ発足の目的は、同じ立場のみんなで楽しさを分かち合うためだから。趣味に生きてきた羽賀さんの「楽しむ」スピリットが活かされました。
農業と付き合い続けるため、ありのままの自分でいる
羽賀さんの暮らしの側には、やりたいことをさまざまな形で実現している女性農業者がいます。農家でありながら、もともと持っていた音楽のスキルを活かして午後から音楽教室を開いたり、週末だけケーキ屋さんを開いたり。「いわゆる”農家の嫁”になったとしても、諦めることはありません」と、羽賀さんは力強く言います。
彼女たちの活動と社会の変化により、農業者と結婚した女性たちをとりまく環境は大きく変化しています。両手にあふれるほどの夢を持つ羽賀さんもこれから、後に続く人たちの道を拓いていくのでしょう。
羽賀さんにとって大切なことは、自分の価値観を変えてくれた大好きな「農業」と、これからも長く付き合っていくこと。そのためには、本当にやりたいことに蓋をせず、ありのままの自分で生きることが必要なのかもしれません。
「自分の人生に『しなきゃいけないこと』はないんです。できることを、できるときにやっていきたい」。自分の心地よさを探して、流れ着いた農業者人生は、彼女だけのもの。この先“自分のタイミング”がやってきたときの、羽賀さんの活躍が楽しみです。