[column4]夫婦ふたり、四季を彩る農あるくらし

執筆者プロフィール

江成奈美えなり・なみ

長野県出身、松本市在住。北アルプスを望む山腹で、義実家の農作業を手伝いながら夫と野菜や米を作り、販売もしている。普段は木工作家 井藤昌志の工芸ブランドであるIFUJIの工房でオーバルボックスの製作に従事。

Instagram#街と山と暮らすヒト通信 で、自然に囲まれた暮らしを発信中。

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3年前の夏、夫の生まれ育った松本平を望む山の中腹に、夫婦ふたりの住処を構えたその日から、わたしと農の暮らしはスタートしました。

わたしたちが暮らすこの場所は、住宅の建築が制限され、家のまわりに田畑が広がり、行政と一丸となって農業地帯を守っている、そんなところです。

同じ敷地内にある夫の実家は、代々小さく米作りや野菜作りを続けている農家で、地元の大学寮へ米を出荷する傍ら、自分たち家族が食べる野菜や米を自給しています。

結婚をきっかけに夫や義両親の農作業を手伝うようになり、夫と私は平日は別の仕事をしながら、早朝や休日に農作業を手伝う生活を送っています。

家の前にある小さな畑では、家族で食べる野菜を育てています。

今やネットでも野菜は買える時代ですし、買った方が形も味も良いかもしれません。天気が不安定な日が続くと野菜が割れてしまったり腐ってしまうこともあります。せっかく実った野菜たちが虫に食べ尽くされてしまうこともあります。

それでも、こぢんまりと自分たちで自給自足を続けられるのは、作った野菜や米を食べることだけが目的ではないからかもしれません。

わたしたちにとって「農」とは、季節の移り変わりを楽しむことにも繋がっている気がします。

長野の長かった冬が終わると、風が弱い日を選び、手足をかじかませながら、虫たちが目覚める前に田んぼや畑の畔焼(あぜやき)をします。

春が近づく頃になると、近所の牧場から分けてもらった堆肥を畑に撒き、野菜作りに欠かせない土づくりが始まります。

日中の日差しが柔らかく暖かくなったこの時期は、畑や道端の草むらに小さな草花が咲き始め、ポカポカと温かい陽を浴びているだけで心が緩む季節です。

桜が咲き終わる頃には畑に畝を立て野菜の苗を植え、いよいよ野菜作りのスタートです。

季節が進むにつれ、鳥たちの鳴き声も日々変化します。ウグイスが鳴いたと思えば、燕が空を飛び回り玄関に巣を作り始めます。ある日の朝は、昨日まで鳴いていなかったはずのカッコウの鳴き声で目が覚め、「まだ畑の準備ができていないのに!早く豆を撒かないと…!」と慌てふためいたり。

眺める北アルプスの雪解けが進み、松本平を見守る常念岳に、常念坊(袈裟を着た僧が徳利を下げているような姿をした、黒い岩肌の雪形)が現れる頃には、多くの田んぼに水が張られ、坂道に沿って田んぼ一面がキラキラ輝き出します。

「今年も無事に収穫できますように」と願いながら田植えをし、田んぼに流れ込むまだ冷たい山水でジュースやビールを冷やし、田植えを終えた田んぼを眺めながら土手に腰掛け、家族で乾杯するのです。

松本の短い梅雨が明ける頃には雑草との戦いが本格的にスタートします。ちょこんと控えめに実った野菜の子どもたちを愛でるのも一瞬、雑草に闘志を燃やしながら夫は無心で草刈機を振り回し、わたしは足元の草を引っこ抜きます。

気持ちよかった初夏が通り過ぎ、標高の高い場所でも朝から汗ばむような夏がやってくると、ホクホクに茹で上がったトウモロコシ、いつも茹で過ぎてしまう枝豆、素焼きで驚くほど甘くなる唐辛子、食べても食べても減らないトマト、ピーマン、ズッキーニなど、夏野菜が毎日食卓に並びます。

窓を全開にして外から吹き込む夜風にあたりながら食べる野菜たちは、いつもわたしたち夫婦の真ん中にいます。

秋が近づき、台風の季節が到来すると、週間天気予報と睨めっこをする日々。雨の合間をぬって稲刈り、親戚総出の大収穫祭です。

「今年も実りをありがとう」と言い合いながら、丁寧に刈り取った稲をハゼに掛け、天日干しをします。

木々も色づき街が赤や黄色に染まり終わった後、夏の間畑に青々と茂っていた葉が落葉すると長芋堀りがスタート。雪の便りに急かされるように収穫します。

真っ直な子もいれば、どうしてこんなに個性的な形なんでしょうという子までさまざま。しかし、粘土質の土壌で育った我が家の長芋は粘りが強いのが特徴。みんなにお裾分けをして味わってもらい、美味しいりんごや餅米と交換してもらうのです。

季節は巡り、あっという間に12月。世間がクリスマスで盛り上がる頃、一足先にお年とり(年越し)の準備が始まります。脱穀した後の藁を使い、お正月に飾るしめ縄作り。先生は親戚のおじいちゃんです。

年の瀬には、親戚総出で餅つき大会。長芋や米と交換をして分けていただいた餅米を使います。正月の鏡餅やおはぎを作ってみんなでお昼にワイワイ味わいます。

その後は作ったおはぎを持って、お世話になった人のもとへ年末の挨拶まわり。自分たちで作った米や野菜がぐるぐる循環して、人との縁を繋いでくれていると実感する瞬間です。

バタバタと年が明け、農作業もないこの時期は、次の冬に暖をとるための薪割りや味噌作りなど夫婦各々好きなことをして過ごします。

こうして長く厳しい長野の寒さを耐え忍んでいるうちに、春がまた近づき、わたしたちの1年が過ぎていくのです。

自然と隣合わせ、自給自足の暮らしは、楽しいことばかりではなく大変なことも多いのかもしれません。しかし、農がなければ得られない時間や感情も多いのです。

ひんやりした朝、朝日に感動したり、道端の草花を束ねてブーケにして、草なのに可愛い!と歓喜したり、早朝の作業を終えて田んぼの土手に腰掛けながら二人で朝ごはんを食べたり…。こんなに簡単でシンプルなことなのに、自然や農が関わっているだけでちょっぴり幸せに感じてしまうのです。

感染症で行動が制限された数年間、この先の生活に不安を覚えることはあっても、ペースを乱すことなく、穏やかに暮らせていたのは、自然や農と向き合う時間がわたしたち夫婦や家族を繋いでくれていたからのような気がします。

農業をする理由は人それぞれだと思います。自分たちで作った安心安全な野菜を食べたい、そんな気持ちももちろんあります。

でもわたしたちにとって農とは、多くの時間を夫婦で共有し四季を色濃く感じることで、心を健やかに穏やかに保つための作業のひとつなのかもしれません。

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