埼玉県のJR大宮駅や浦和駅から15分ほど車を走らせると、目に映る光景が住宅地から突然、緑豊かな田園に変わります。ここは江戸時代の治水工事によって生まれた巨大な沼「見沼」。現在では、Y字に広がる沼の周辺が「見沼田んぼ」と呼ばれる大規模な緑地となり、その多くが畑地や公園として活用されています。ここに「十色とうがらしファーム」というとうがらし専門農園をつくったのが、合同会社十色の釘宮葵さん。ウェブの営業職から農家に転身した釘宮さんに、どのように農業を始めたのかうかがいました。
社会人になりたての頃から、見沼田んぼに通っていた
釘宮葵さんを含む女性3人で立ち上げた合同会社「十色」。その十色のインスタグラムには、色とりどりのとうがらしの写真がアップされています。
https://www.instagram.com/p/CFd00hhjtus/
「同じ品種でも、生り始めは白く、それがどんどん紫、黄色、オレンジと変わっていって、最終的に真っ赤になります。色が変わっても辛さに変化はないんです。」
この日はトラクターに乗って畑を耕し、苗を植えるための土作りをしていた釘宮さん。十色が借りている畑は見沼田んぼ内に3箇所あり、一番広い畑を「十色とうがらしファーム」として活用しています。面積は2.6反、およそ2600平方メートル。そこに、今年は42種類のとうがらしを植えました。
釘宮さんは埼玉県の浦和生まれ、浦和育ち。大学卒業後はインターネット広告を手掛ける会社に入りました。その当時は、業界の慣習として長時間労働は当たり前。疲弊している釘宮さんを見て幼馴染が誘ってくれたのが、見沼田んぼでの畑作業でした。「最初は、友人たちが通っていた畑に遊び感覚で行っていました。週末だけ、月に1、2回。ウェブサイトは完成しても触ることができない。でも畑は、土も作物もみんな手にとってつかめる。この手触り感がすごく楽しかったのを覚えています」
4年ほど忙しく働いた釘宮さんは思い切って仕事をやめ、20代のうちに経験したかったという海外ボランティアに従事します。ネパールやタンザニアで8ヶ月ほど活動した後、日本に帰国。今度はウェブ関連ではない仕事に就こうとしたものの、前職の上司の転職先に誘われ、またもウェブの会社に就職しました。
本当は、NPOやNGOで働きたいと考えていた釘宮さん。転職後しばらくしてから、見沼田んぼ福祉農園内にあるNPO法人が週1で働く人を探していると聞き、応募することにしました。転職先の社長になっていた元上司も「社内にそういう働き方をする人がいてもいいかもね」と、副業を許可してくれました。こうして、水曜日だけ見沼田んぼで畑仕事をすることになったのです。
「月・火・木・金はウェブの営業、水曜日は草むしりしたり、種まきをしたり、苗の植え付けをしたり。週に1日だけまったく違う環境で仕事をするという、ちょっと不思議な生活をしていました」
このウェブ業界と畑を行き来する生活は、二度の産休を挟んで7年間続きました。
本業と副業の割合が逆転。ウェブ業界から農家へ
見沼田んぼ福祉農園内のNPO法人で出会ったのが、十色を一緒に立ち上げることになるサカール祥子さんです。サカールさんは福祉農園で野菜を作るだけでなく、地域の人にもっと畑に親しんでもらうための農業イベントなどを企画していました。釘宮さんは途中から、その企画・広報などを手掛けるようになったのです。
障害のある児童向けに開催していたイベントは評判を呼び、一般向けにどんどん拡大していきました。水田も借り、田植え体験や稲刈り体験を実施。軌道に乗り始めたものの、NPO法人が公有地でできることには限界がありました。そこで、サカールさんは会社を立ち上げることを決意します。
一方の釘宮さんも、2020年から新型コロナウイルスの感染が拡大するなか、農業に関わる仕事を本業にしたいという思いが募っていました。
「これまではずっと営業職だったので、打ち合わせやクライアント先へ行くことが多かった。それがほぼ100%在宅勤務になって、突然家の中に閉じ込められてしまったんです。オンライン会議の連続で、ディスプレイを見つめるだけで1日が終わっていく。そんな日が続いて『このままじゃだめだ』と思いました」
独立の準備を進めるサカールさんに釘宮さんは、「やるんだったら、私もジョインしたい」と申し出ました。なかば勢いで退職を決めた釘宮さん。元上司にはかねてから農業を本格的にやりたいと話していたため、退職もスムーズにいくかと思いきや、実は釘宮さんはまだウェブ制作会社で働いています。でも今度はこちらの仕事が副業になりました。
「ウェブの仕事だからこそ新しい形で続けられるんじゃないかと言われて、それもそうだなと思ったんです。今は畑作業の合間にオンラインミーティングすることもあって、そうすると背景がリアルに畑なんですよ。初めて私とオンラインミーティングする新人さんはびっくりしているかも」
うっかりできた激辛とうがらし。そこにニーズがあった
釘宮さんとサカールさんがチャレンジしたのは、新しく農業の事業をおこす新規就農。サカールさんが見沼田んぼにある福祉農園内にあるNPOで長年働いた実績から、見沼田んぼ内の地主とつながりができ、土地を貸してもらうことができました。
「畑を耕して作物を作れる人だという信用がないと、土地は貸してもらえないんです。農家のなり方はいろいろありますが、私達は非農家でありながらこの見沼田んぼでの活動を続けて、そのまま土地を貸してもらって農業を始めたというちょっと特殊なパターンだと思います」
新規就農の場合は、作物の選定や販路の開拓などをすべて自分たちで行うことになります。釘宮さんたちがとうがらしの栽培を始めたのは、一種の偶然でした。もともと見沼田んぼの土地は、名前の通り沼地で保水力に優れています。そのため里芋や大根などを育てるのに適しており、NPOとして畑をやっていた頃は里芋や大根をメインで育てていました。
ある年、余った土地に「かわいいから育ててみよう」と植えてみたのがとうがらし。果実の出来もよく、なんといっても収穫が楽だったことが釘宮さんたちにとって大きな衝撃でした。
「大根や里芋って、収穫とその後の水洗いがすごく大変なんです。秋冬は寒いし、重いし、泥だらけになる。それを覚悟してやるのが当たり前だったのに、とうがらしは手でぷちぷちとって収穫できる。汚れないし、かわいいし、めっちゃいいじゃんと思いました」
実は、辛いものがあまり食べられない釘宮さん。そのため辛さ控えめの品種を植えたつもりでしたが、1種類だけものすごく辛いとうがらしができてしまいました。困った末に、知り合いのフードプランナーに相談したところ、その人がSNSで「こんなとうがらしが採れたそうです」と発信してくれました。すると、飲食店や辛いもの好きから「欲しい!」という声が殺到。とうがらしの、作物としてのニーズを実感しました。
「日本のとうがらしの自給率は10%。主に食べられているのは乾燥とうがらしや万願寺とうがらしです。生でおいしく食べられるとうがらしがあまり流通していないんですよね。それを求めている人がいるんだ、とわかりました」
そこから、とうがらしに振り切って栽培を始めることにしました。2021年は13種類のとうがらしを生産。Facebookで「十色激辛プロジェクト」というグループを立ち上げ、収穫時にはそのメンバーを招待し、もぎたてのとうがらしを食べる試食会をおこないました。
「とうがらしは品種によって、辛さや香りがかなり違うんです。だから辛いものが得意な人たちに試食してもらってどういったとうがらしができたのかを確認し、次の栽培に生かしています」
https://www.instagram.com/p/CiO-2IovAIu/
日本ではとうがらしを栽培している農家が少ない上に、十色では農薬や化学肥料を使わない栽培に挑戦しています。先達がいないため、迷うことも多いという釘宮さん。今は、トライ・アンド・エラーで最善の方法を模索しています。
畑にいると、心も体も健康になっていく
釘宮さんは、いつもサカールさんと「独立してよかったね」と言い合っているそうです。
「一瞬たりとも、農業を始めなければよかったって後悔したことがないんです。それは、起業する時に『楽しいことだけしよう』と決めたから。一見大変なことでも、楽しくやれるように工夫しています。例えば、水路のゴミ拾いをしなければいけないとしたら、カヌーを浮かべて拾ってみたらどうか、とアイデアを出す。そうすると楽しくなるでしょう」
十色のコンセプトは「畑はエンターテインメント!」。このように、畑仕事をどうやったらエンタメ化できるかを考え、農業体験イベントを含めさまざまな形で発信しています。
釘宮さんにとっては、畑仕事そのものが癒やしなのだとか。
「無心に手を動かすのって、すごく豊かな時間なんですよね。瞑想をしているような状態なんです。土にさわることで癒やされるので、ストレスがなくなりました。お昼は畑でお弁当を食べているので、毎日ピクニック気分。桜の季節は特にきれいで最高です」
「今のところ貯金は増えてないけれど、筋肉の貯金は確実に増えてます」と笑う釘宮さん。時には15kgの堆肥を二人で60袋、畑に撒くこともあるとのこと。相当鍛えられそうです。お子さんも畑に興味を持ち、よく遊びに来ては見沼田んぼの自然を満喫しています。
十色では今後、もっとたくさんの種類のとうがらしをつくろうと計画しています。
「目標は100種類。世界には3000品種のとうがらしがあるので、それでもまだまだ一部です。『日本のとうがらし生産といえば十色』と認知してもらい、さいたまを日本の激辛の聖地にしていきたい」
さらに大きな野望は、世界中にとうがらし農園を作ること。十色の創業メンバーは、全員旅行好き。世界中に農園があれば、仕事という名目で世界を飛び回れる!と夢を膨らませています。実現すれば、日本ではとうがらしが採れない時期にタイで収穫したとうがらしを輸入するなど、年間を通した安定供給も可能になります。
「農家って、本来すごく土地に縛られる職業なんです。でも、私達は非農家から農家になったので、その固定観念を壊していきたいと思っていて。この見沼田んぼの畑を耕し続けるけれど、一箇所に縛られるわけではない、新しい農家の働き方を実践していけたらと思っています」