野菜を育てると、足もとの幸せに気づける。
自炊料理家・農園オーナー・フリーランス農家が語る「農ある生き方」の始め方
※この記事は、「株式会社マイファーム」とgreenz.jpが共同で行ったイベントレポート記事になります。記事はgreenz.jpより転載しています。
あたたかい日差しが降り注いだ、ふかふかの大地に触れる。
ついさっきまで土の上にいたような、新鮮な野菜を食べる。
こうした体験は、多くの人にとって喜びを感じられる根源的なものです。有機農業を推進した先人、故・藤本敏夫さんの書籍『農的幸福論』を読むと、物質的に豊かでも払拭できない不安を解消するためには、食と農を知ることが大切であると書かれています。
農家になる、あるいは、ならなくても農家のようなマインドセットで生きることを意味する「農的」。小さなプランター栽培や家庭菜園、市民農園を借りたり、農作業のコミュニティに参加したり、田んぼや畑のオーナー制度に申し込むなど、現代では「農的」でいられる手段はいろいろあります。
そもそも「農家」さんだっていろいろです。新規就農か後継ぎか、あるいは農業法人に就職するか、地域や規模、栽培する作物、農法、販路などなど、千差万別。
もしかしたら、豊富な選択肢が自分に委ねられている「農的な生き方」にこそ、幸せのヒントが隠れているのかもしれない。そう考えている人に向けて、この記事では、すでに自分らしい農との関係性を築いた3名のゲストをお呼びしたオンラインイベント「わたしらしい“農ある生き方”をつくる、キャリアのヒント」で語られたことをご紹介します。
3人のお話が、誰かの新しい生き方を照らす道標となりますように。
現代の農的ライフスタイルを知る
まずゲストの3人に、今の働き方と、野菜や畑とどんな風に関わっているのかを教えていただきました。注目ポイントは「三者三様の在り方」です。
「野菜を切って味噌をつけたら、それは料理です」と、気持ちよく言い切ってくれる山口祐加(やまぐち・ゆか)さんは、自炊料理家として、料理の概念を優しい言葉にして伝えています。
山口さん 料理って、すごく難しいものだと捉えられることが多いのですが、本来は簡単で優しいものだと思うんです。例えば、農家さんがつくった新鮮でおいしい野菜なら、濃い味つけをしたりするよりも、ちょっとだけ塩を振るとか、ただ切って焼いただけとか、そんなシンプルな食べ方が一番おいしかったりします。
素材そのものの味を知ってもらえたら農家さんも嬉しいと思うし、料理をする人も負担がありません。忙しいからこそ、料理の仕方も時代に合わせてアップデートできたらと思って活動しています。
「土地と家を所有しないフリーランス農家」の小葉松真里(こばまつ・まり)さん。小葉松さんは、自ら考え、動いてみたことで獲得した自身の働き方を「フリーランス農家」と表現しています。年間300日以上、各地の繁忙期に合わせて移動した先々で農作業をするという独自の農業スタイルです。
小葉松さん 地元の北海道で就職して、地方創生の仕事に関わったことで農業に対するイメージが変わりました。想像していたよりも若い世代の農家さんが、夢をもってキラキラしていたんです。
地域のために必要なのは第一次産業だし、人間にとっても健康や心の豊かさなどを育むために農業の存在が重要だと強く感じて、富良野のメロン農家に転職しました。2年間住み込みで働きながら、農業の重要性を実感し、同時に、規格外野菜や雇用の安定といった、具体的な農業の課題も見えてきたんです。課題解決に貢献するために自分にできることは何だろうと考えるようになりました。
農家になるには初期費用がかかるが、自分らしく農業に関わる方法はないかと模索した結果、企画がつくれることやフットワークが軽いといった自分の強みをいかそうと思って「フリーランス農家」という働き方をつくったんです。
熊本県合志(こうし)市で「うさぎ農園」を営む月野亜衣(つきの・あい)さんが新規就農したのは10年前。夫の陽(よう)さんとふたりではじめた事業が、今ではスタッフを含めた10名のチームとなり、明るく元気に農園を切り盛りしています。
月野さん 夫は元自衛官、わたしは会社員から転職して、夢だった教師をしていました。10年前、ふたりとも公務員を辞めてまで新規就農することに大反対されながら就農したのですが、どうしても農家になりたかったというよりも、夫の祖父たちが牧場をしていた土地をいかしたかったんです。
廃業から20年ですっかり荒れ果てた場所を見て「昔ここはすごく楽しい場所だった」と悲しそうにしている夫に、「だったらここをまた楽しい場所にしようよ」と話しました。反対する家族の声を押し切ってまで始めたので「まずは10年、休みを欲しがらずにやろう」と決めて、目標だった10年目を迎えられたことは感慨深いです。
2019年には法人化し、今は「おいしいものを楽しくつくる」をモットーに、みんなでがんばっています。
市民農園を借りて
野菜が育つさまを体感する
それぞれに畑や野菜との関係性をもって日々を過ごす3人に、「農ある生き方」を始めた理由や、具体的にはどのくらい土に触れたり、畑に出る日々を送っているのか、そしてその生き方から得たことはなんなのかを教えていただきましょう。
自炊料理家の山口さんは、海のそばに引越した際、近所で見つけたオーガニックの市民農園を借りたそうです。
山口さん コロナ禍になって少し自分だけの時間ができた2021年、前からやってみたかった畑を近所で借りました。3メートル四方の小さなスペースですが、オーガニックで、苗は用意してもらえるし、道具も借りられるのですごく気軽でしたね。
調べればもっとできるとも分かっていたのですが、知らないなりに挑戦する中で発見することも好きなので、あえてノリと勘で挑戦してみました。虫や動物に食べられたりもしながらでしたが、それでも野菜は育ってくれて。特に夏野菜はよくできたと思います。キュウリ、ピーマン、ナス、トマト、枝豆、モロヘイヤ、オクラなど、正直スーパーで買うのと遜色ないものができました。
山口さんが畑をしてみたかったのは、「野菜ができていく様子を体感したかった」という理由が大きいそうです。
山口さん 野菜は毎日食べていますし、料理教室で扱い方や保存方法をお伝えすることもあるので、自分で育ててみたかったんです。もちろん農家さんとのお付き合いなどもありますが、野菜がどういう風にできていくのか、自分でやってみた上で伝えたいと思っていました。
スーパーで買えば済む野菜を、あえて自分で育ててみる。そのことで得たものはなんだったのでしょうか。
山口さん 畑をやってみて気づいたことはたくさんありましたが、ひとつは、植物は環境さえ整えておけば光と空気、土、水の力で育ってくれるということ。人間にできることは限られていると思いました。
あと、時間軸がそれぞれで、植えながら「このくらいで育つだろう」と考えていても、キュウリはあっという間に笑っちゃうほど大きくなるし、カリフラワーは想像の何倍も時間がかかりました。野菜の成長速度を勝手に想定した自分の考え方自体が、資本主義に毒されてるように感じましたね(笑)。
市民農園を借りていたのは1年間でしたが、今もまだ空いてるみたいなので、前回の気づきをいかしながら、また始められたらいいなぁとも考えています。
「虫も日焼けも苦手」から
自分らしいかたちでの成長を実感
年間のほとんどを移動しながら農作業を行う小葉松さんはどうでしょうか。北海道のご出身ということもあり、もともと畑などに慣れていたのかな?とイメージしたのですが、どうやら違うようです。
小葉松さん 農業に興味をもつ前は、食べ物を誰かがつくってくれていることを意識したことすらなかったんです。ジャンクフードばかり食べていたし、虫も日焼けも、力仕事も得意ではありませんでした。
でも住み込み先の仕事は楽しいことも多くて、外で作業する気持ちよさとか、何より、「新鮮な野菜がこんなにおいしいんだ!」ということも初めて実感しました。
2年間の住み込み後に「フリーランス農家」になってから、4年が過ぎたという小葉松さん。その間、活動はどのように変化したのでしょうか。
小葉松さん 最初の頃は援農に行って農作業をしていることがほとんどでしたが、この2年ほどは、各地で農家さんに聞いた話をライターとして発信したり、地域の方と連携して農業ワーケーションや農泊を企画したりもすることが増えました。
いつも大体21時頃に寝て朝4時頃に起きています。朝は少しメールやSNS、資料作成などをしてから畑作業をして、お昼を食べたらまた畑に行くか、打ち合わせをすることもあります。
例えば、収穫作業のために北海道にいながら、オンラインで沖縄でのワーケーションの企画の打ち合わせをしたり、和歌山での梅の収穫時期に、北海道の提案書をつくったり。常にいろんなことがたくさん進行していますが、フリーランス農家としての働き方はステップアップできている実感があります。
フリーランス農家としての手応えを感じているという小葉松さんですが、「農ある生き方」を始めるうえで心配だったこともあったとか。
小葉松さん 農繁期を渡り歩くフリーランス農家を考えた時、もしかしたら農家さんたちに「農業をなめてるのか」とか思われるかもしれない、と心配したこともありました。
でもそんな反応をされたことはこの4年間で一度もありません。むしろ喜んでもらえるというか、普段はわりと限られた人たちとの交流になる仕事なので、他の地域や農家と繋がりがあるわたしが手伝いに行くと、情報交換などが「刺激になる」と言ってくれたり、「一緒に企画を考えよう」と言ってもらえることがどんどん増えていきました。わたしが行って発信することで他の人が援農に来ることもあるので、むしろ喜ばれることもあります。
自分の成長と
誰かを笑顔にするはたらき方
月野さんたちは新規就農した頃から、農作物の栽培(一次)、加工(二次)、さらに販売(三次)と、自社農園での六次化までを実践していました。それは、「近くにいる人のため」だと言います。
月野さん うさぎ農園では、お客さまを笑顔にすること、そして自分たちも成長することを楽しみたいと考えています。笑顔になってもらいたくて、見た目もカラフルで明るい色の野菜を多品目栽培してるんです。野菜セットも販売していますし、自分たちの野菜をメインの材料として加工品もつくって販売しています。
例えば野菜でつくったドレッシングやソースなど、無添加で瓶詰めにすることで忙しい人の役に立つような「お助けマン」になることが目標です。農家ですので材料をケチることもせず、たっぷり贅沢に使っています。
お米もつくっているので、米粉にしてお菓子を焼いたり、不定期でイベント出店をしながら直売することもあります。またコロナ禍に入ってからはオンラインの料理教室を月2回配信することも始めました。見てくれている人に「楽しかった」と笑ってもらえることを目指してるので、毎回すごくふざけることにしていて(笑)。今は640名の方にサブスク登録していただいています。
楽しさを大事にしていると語る月野さんですが、当初は大変なこともあったとか。
月野さん 10年前、身寄りもいない地域で新規就農する大変さはある程度想定していたのですが、昼間の農作業と、夜の加工品づくりで、あんなに寝不足になることは想像してませんでしたね。今はスタッフたちがいるので睡眠は取れていますが、以前はとにかくいつも眠かったです(笑)。
それでも楽しかったので、この10年間は大切な宝物です。もしダメだったら辞めるつもりでいた目標の10年目をみんなで迎えられて、今はやっと純粋に楽しんで農業ができるようになりました。
大変な時期を乗り越えた今、大切にしているのは、やはり「近くにいる人のため」ということ。その「近くにいる人」に含まれるのは、スタッフやお客さんだけではありません。
月野さん 毎日たくさんすることがありますが、何事も一生懸命にすること、それから「近くにいる人」のことを考えるようにしています。「近くにいる人」とは家族やスタッフはもちろんですが、80歳を超えた近所のお友達や、資材などの仕入れ業者さん、あるいは農園のSNSなどを見てくれるフォロワーさんたちのことです。
ご近所の方々にはいつまでも元気でいて欲しいので、毎日畑に行けなくなってしまっても、代わりに販売してあげるなどのお手伝いをしていきたいと思っています。業者さんたちにも発注が途絶えないようにしたり、フォロワーの皆さんともできるだけコミュニケーションしたり。近くにいる誰かを思って行動すれば、それがいつか国や世界へと広がるものだと考えています。
農ある生き方にいかせる3つのヒント
では、自分らしい「農ある生き方」をつくるために今できることは何でしょうか。3人に聞いたヒントの中から3つをご紹介します。
1. 考えすぎずに、まずやってみる
山口さん 今は著者として本を出す立場になりましたが、出版社の社員だった時の経験のおかげで、よく分かることがたくさんあります。2021年にはじめた畑も、最初は自分のためで、別に仕事にしようと思ったわけではありませんでした。
でも結果的に、レシピをつくる時や教室をする際にも役立ちましたし、今日のような場に呼んでもらえたのも畑をやってみたからです。何がどう仕事に繋がるか、本当にわからないなぁと思います。
「仕事にしよう」とか「就農しなきゃ」とか考えずに、まずやってみることで見えてくることはたくさんありますよね。
山口さん 特に畑は、野菜をつくる経験で無駄になることなんてひとつもないと思いました。体を動かす機会になるし、外で土に触れることは気持ちがいいし、何より「食べ物をつくれる」という人間としての謎の自信がつくんです。
わたしはこれをよく「野生ポイントがアップした」というのですが、食材を扱えるとか料理ができることで、生きる自信が増すんです。もしも今いきなりどこか見知らぬ街に解き放たれたとしても、その場でなんとか食べ物を扱って生きれそう、と思える。この自信は、キャリアの前に人としてとても大きいものだと思います。
2.仕事の中で得た気づきをもって
農の現場を見つめる
「無駄になることは何もない」という山口さんと同じく、小葉松さんも、まったく意識してなかったことが視点となって今にいきていると実感しているそうです。
小葉松さん わたしの場合、農業に興味をもったきっかけが、前職で取り組んだまちづくりだったことが今にいかされてると思います。人が関わることで地域が活性化していく様子を体感していたので、農業の課題解決においても最初から、人が関わるとか発信するという視点がありました。
あとは帯広出身という原体験も影響してるかもしれません。畑や農業が盛んな環境で育ち、祖父も農業をしていました。でも自分は大人になっても全然、祖父がしていたことを大事にしてこれなかったなぁと思ったんです。
家族も私が農業と言い出したときはとても驚いていて、体調などの心配もされましたが、今は応援してくれています。もちろん体力的に疲れることもありますが、でも楽しいので、現場に行くと元気になっちゃうんですよ。
小葉松さん 「どうやって農家さんと知り合うのか」と質問されることもあるのですが、元々前職で地域の仕事をしていたご縁から始まっています。最近では、初めに取材を申し込んで記事を書かさせてもらった後に「今度、お手伝いに行って良いですか?」と援農に繋げることもありますし、興味のある地域の役場にお電話して、農業に関わる窓口の課の方から農家さんを紹介していただくこともあります。
仕事の経験を通して得た「ものごとを見る視点」は、確かに仕事の種類が幅広い農的な生き方には特に重要そうです。
3. 農家は農作業だけをするのではない
では、会社員から教員という異業種転職を経て、さらに農家に転向された月野さんはどうかと伺うと、「これまでの人生でしてきたこと全てが今につながってます!」と力強く教えてくれました。
月野さん 五人姉妹の末っ子として育ったので、食事の時も自分から取りにいかないとたくさん食べることができず、わんぱくで食いしん坊に育ちました。それは今、農家になって料理をすることにものすごく役立っています。
あと、農家は天候など自分たちではどうしようもないことに左右されるときがありますが、小さい頃から大学までバスケットボールをしていたので基礎体力もあるし、怖い先輩や先生のおかげで忍耐力がついた経験が役立っていると感じますね。
また、会社員や教員時代に身につけたビジネススキルも、実は農ある生き方にいきているのだそう。
月野さん 新卒で就職した会社では経理でしたので、今も農園の経理を同じスタイルでしています。教員時代の科目が情報処理だったことは、農園のSNS発信にそのままいかされています。
それと、特別支援学級の教員だった時に担当していた生徒に、脳性麻痺をもった子や、視力がすごく弱い子がいたんです。彼らが明るい色のものには自ら手を伸ばす様子を見て、そういった子どもたちの視覚にもしっかり届き、みんなに食べて楽しんでもらえるようなカラフルな野菜をつくりたいと思ったことは、うさぎ農園の品種選びに直結しています。
農業にはいろんな仕事があるので、どんなキャリアの人も自分なりに、農業に繋げられる何かがあると思います。
また、「実は、農家になったことで夢がたくさん叶っている」とも教えてくれました。
月野さん 商品ラベルのデザインをつくるときはデザイナーになれるし、イベント出店をすれば子どものころになりたかったショップ店員になれる。農家になったとはいえ、農作業をするだけが仕事ではないんですよね。
10年前はまだ、農家はきつくて人気がないとか、女性が好んでする仕事じゃないと言われたこともあったので、今日みたいに興味をもってくれる方がたくさんいることはとても嬉しいです。わたし自身、農家になって本当に良かったと思っているので、これからもずっと農家を続けていくことが目標です。
楽しむのは
変化し続ける「自分らしさ」
3人それぞれの「農のある生き方」について伺ってきました。農との距離感に濃淡があるものの、いずれも共通していることは、楽しんでいること、自ら選択していること、そして、まずはできることから始めてみること。
また3人とも、これまでの経験をいかしてたどり着いた現在地の話であり、きっとこれからそれぞれに、もっと「わたしらしい」形へと進化されていく予感を感じさせてくれました。
忙しいからとか、難しそうとか、大変そうとか、どこからともなく聞こえてくる声があるかもしれませんが、まずは自分らしく始められそうな、何かのタネを探してみるのはどうでしょうか。
よかったらぜひ、あなたの「農ある生き方」へのチャレンジも聞かせてください。
(文:柳澤円 編集:山中康司)
[partnered with株式会社マイファーム]