「私、最初はここのお客さんだったんですよ」。
みかん農園の園主との結婚をきっかけに、航空業界からの転職と移住を経験した、小澤知世さん。農業も、和歌山での暮らしも、はじめてだらけの生活は一体どのようなものだったのでしょうか。お話をうかがいました。
江戸時代からつづく、広大なみかん農園
和歌山県有田川町。町の中心には有田川がゆったりと流れ、その横に大きな山々が連なります。豊かな自然と温暖な気候は、みかんの栽培にぴったり。みかんの収穫量日本一を誇る和歌山県の中でも、ここ有田川町は屈指の産地として知られています。
この地で農園を営んでいるのが、今回訪れた『みかんのみっちゃん農園』の小澤夫妻。その歴史はなんと江戸時代から続き、現在の園主・光範さんで6代目。約9,000坪の広大な農園には、温州みかんやはっさくなど、約60種類の柑橘類が1年を通して実っています。
光範さんと一緒に毎日汗を流す小澤知世さんは、兵庫県姫路の出身。「今だからこそ言えますが、最初は移住を後悔したこともあったんですよ」と少し苦笑いを浮かべ、これまでの道のりを話してくれました。
世界を飛び回る航空業界から、和歌山へ
「私は小さい頃から、英語や海外に興味を持っていました。英語が話せたら、色々な国にも行けるし、たくさんの人と友達になれるなと憧れがあって。将来は、航空業界に勤めることが目標だったんです」。
大学卒業後、夢を叶えて関西空港に就職した知世さん。グランドスタッフ(地上係員)として働くある日、友人が主催していたパーティーで、光範さんと出会いました。
「パーティーではほとんど話せず、後日アドレスとFacebookを交換したくらい。当時、光範さんはまだ農園を継いでおらず、サラリーマンをしていました。全国を車で旅をするのにハマっていて、『食べたい人には、実家のみかんを送ります!』とFacebookに投稿している不思議な人だなって思っていましたね」。
その後、成田空港へ転職し、大阪から千葉に移り住んだ知世さん。一人暮らしの生活の中で、光範さんの投稿が気になってみかんを注文してみたところ、その美味しさに感動。3年ほど、毎年冬にみかんを買う常連さんになったそうです。
そしてある時、光範さんを含めた友人3人と、茨城一周の日帰り弾丸旅行。初めてしっかり話をし、「意外と真面目な人なんだな」と急接近。関西と関東の、遠距離交際がスタートしました。
「結婚を決意したのは、光範さんがサラリーマンを離れ、就農して3、4年くらいが経っていた頃。手伝ってとは言われていないけれど、いつかは私も農園の仕事をやるんだろうなとふんわり考えていました。一緒に仕事をしたら、融通もきくようになるし、結構良いかもって。でも、現実は甘くありませんでしたね」。
和歌山に移住し、地元の日用品メーカーで働き始めた知世さん。しかし、縁もゆかりもない土地での生活は、だんだん寂しさを生み出していきました。
「移住するまでに和歌山にはちょくちょく来ていましたが、旅行するのと住んでみるのとでは全然違いました。地域についての知識も、つながりも、何もありませんでしたし……。今は色々なライフスタイルがあるので、航空業界を離れずに結婚生活を送ることができたかもって、後悔したこともあります。馬鹿なことをしたかなって、正直最初は『どん底』でしたね」。
知世さんは、湧き上がってきた不安や迷いを、思い切ってすべて光範さんに話しました。光範さんはしっかり悩みを聞いて受け止めてくれ、光範さんのつながりで同世代の友達と出会ったりするうちに、少しずつ気持ちが整理され、寂しさが薄れていったそうです。
会社で働きつつ、平日の夜や土日に農園の作業を一生懸命に手伝ううちに、あっという間に過ぎた3年の日々。段々と忙しくなり、両立が難しくなってきた2021年の夏、「みっちゃん農園の仕事にしぼって働こう」と決心したそうです。
元「お客さん」だったからこそ、伝えられること
もともと農園のお客さんであり、他業種で経験を積んできた知世さん。農家としてはまだまだ新米だけれど、だからこそできる仕事もあると言います。
「例えば、SNSの投稿も大切な仕事のひとつ。農家さんがつい使ってしまう専門用語を分かりやすく言い換えてみたり、楽しそうな写真を撮ったり。もともとお客さんだった頃の考え方や感覚は、ずっと忘れずにいたいなと思います」。
笑顔あふれる農園の様子が並ぶSNSは、総フォロワーが2万人を超えるほど。2022年にオープンしたオンラインショップも好調で、全国からたくさんの注文が入ります。毎日のお客さんからの声や出会いが、知世さんの励みになっているそうです。
「『みかんが苦手だったのに食べられるようになりました』とか、『はっさくは絶対ここで買います』とか、そういう生の声をいただけるのは、本当に嬉しいです。
あと、レストランやパティスリーの方など、生産者という立場にならないと出会えなかった方たちと関わることができるのも楽しいです。私はみかんってそのまま食べることしか知らなかったので、こういう使い方や調理方法もあるんだなって、シェフの方が新しい世界を見せてくださるのは幸せですね」。
個人の方も飲食店も、お客様のところにはいつか一度は行って、感謝の気持ちを伝えたいと言う知世さん。また、現場を経験せずに魅力的な発信はできないと、収穫や選別、梱包など、積極的に様々な作業をこなしています。
「一番の繁忙期は、11月から年末にかけてです。収穫のとき以外も、頭を使う作業がいっぱいあるんですよ。今年みかんを採ったら、来年の春に新しく芽が出て、再来年にまたみかんになる。毎年美味しいみかんを食べられるよう、今年実る芽と、来年実る芽をバランスよく作っていかなければいけないんです」。
新しくみかんの木を植えても、それがしっかりと実をつけるまで最低5年はかかるそう。動物や台風の被害などで計画通りにはいかないことも多い中で、農園全体のことを考えつつ、5年10年がかりで育てていく必要があるそうです。
甘さと酸味の、絶妙なバランスで決まるみかんの味。「去年は美味しかったのに、あれ、今年は?」とがっかりされないよう、一定の味を保ち続けるのは実は難しいこと。こういう裏のストーリーを知るのと知らないのとでは、きっと味わい方も違ってくるはず……。今は発信できる媒体が多いからこそ、きちんと届けられるようにしたいと、知世さんは言います。
有田川から、世界を目指したい
縁もゆかりも、何もなかった有田川での暮らし。今の印象は?という質問に、知世さんは「何でもあるところ」と返してくれました。
「あまり注目はされないけれど、すごく豊かなところだと思います。山もあって、海もあって、地元のものでなんでもまかなえるんですよ。ジビエも盛んだし、スーパーには見たことがない魚がいっぱい並んでいます。野菜も豊富ですし、みかんの他の果物も、ぶどう、なし、もも、いちじく……もう全部あるんじゃないかってくらい。最初は、縁もゆかりもない土地で『どん底』も経験したけれど、暮らしてみて、ここには本当は何でもあるんだなって気づいたんです」。
そう話す知世さんからはもう、かつて抱いたという「寂しさ」や「後悔」は、感じられませんでした。
最後に、「海外への輸出にも挑戦してみたい」と、これからの目標を語ってくれました。
「空港で働いていたとき、アジアの国々に行く機会が何度かありました。その地域で取れる柑橘類はいっぱいありましたが、いわゆる『日本のみかん』のような品種は見当たらなかったんです。日本は四季があるから美味しいみかんが育つのかな、アジアは暑いところが多いから、同じように育てることは難しいのかなって、未熟ながらに考えていました。私たちが大好きなこのみかんの味を、いつかたくさんの国々に届けてみたいなって思っています」。
最初は移住を後悔したこともあったと、酸っぱい経験もした知世さん。甘い思い出ばかりではなかったけれど、今は楽しそうな夢が、大きく実り始めていました。